忘れられない味、忘れた。

 

仕事が終わったのは23時を過ぎた頃。

『いつもより早いや』なんて思いながら自転車に跨り、

0時まで開いている近所のスーパーに駆け込んで、

アイス買う。

『家帰ったら食べよ〜』とか考えて、

アイス買う。

ジャイアントコーン・チョコナッツ。

 

ふとここのスーパーはヤンジャンが立ち読みできること思い出して

手を伸ばし、東京喰種を読ませて頂く。

『ああ、面白い。えええ、絶対什造来たやつや〜ん』とか心の声が溢れそうになるのを我慢して家に帰る。

 

ガチャッと鍵を開けて洗濯物を出して、
『あ〜洗濯今からとかちょっとムリ』って
iPhoneInstagramTwitterfacebookっていうお決まりの順番でSMSチェックして、
特にイイネ!もコメントもせずに友人たちの動向を確認して
仕事中に返せなかったLINEをこの時間でも返してもいい間柄の友人に返信して、
Gメールをチェックしてこの時間返すか悩んで、
『眠い、いやお風呂・・眠い・・』とぼんやりお風呂に入らなくちゃいけない気持ちを抱えて
のそのそシェアハウス4階のお風呂に向かって、

『リビングに誰かいるのかなあ、寄りたいけど疲れたなあ』

シャワーを浴びて気に入って買ったわけじゃないUNIQLOのリラコとカップ付きの色気のない黒T着て
自室に帰ってウトウトする。
さっきチェックしたばかりであまり代わり映えのないSMSをチェックしながら
ウトウトする。

『あ、ジャイアントコーン・・』
グレゴリーのリュックから取り出すと開けずともわかるほどにドロドロに溶けたジャイアントコーン
悔し紛れに冷蔵庫に放り込む。

一回溶けたからもう美味しくないけど、悔しいからまた凍らせて食べる。



子供の頃からこのアイスクリームはあって、

やっぱり子供の頃から大好きで。

 

母に買ってもらったそれは、

時々買ってもらえるそれは、

すごく特別で甘くて冷たくてサクサクとして

味わって味わって食べていたのに。

買ったことも忘れて
忘れなかったとしても大人になって食べていたこのアイスクリームは
いつだってSMSや仕事の片手間だった。

もう、美味しいかどうなのかも忘れて
好きなのかどうかもわからない状態で。

ただ、懐かしさと安心で求めていた。


 

生活の余白

何もせずに1日が終わろうとしている。

目が覚めたのは昼過ぎで、

『ああ、青山に好きな絵を観に行こうか』

なんてぼんやり思って、

ブラジャーをつけて

『今日は何を着ようか』

と悩んでいると

『でも電車乗るの今日はきついな、ウン。なんだか今日はきついな』

と感じて横になったらいい具合にまた睡魔が誘ってきて、

『このまま眠れたら気持ちいいだろうな』

思ったら次に目が覚めたのが夕方だった。

 

目が覚めて、SNSを触るでもなく、掃除をしようとするでもなく、何をするわけでもなくぼんやりと過ごした。

寝ているわけではなくて、目は開いていて。

思考しているわけでもなくて、ただぼんやりと漂うように好きに思いを巡らせていた。

 

仕事のこと。生活のこと。元彼のこと。最近聞いた話で感じたこと。

考えるわけでもなく本当にただ漂わせただけの時間だった。

 

『子供の頃はこの時間が毎日あったなあ』

毎日毎日、勉強も宿題すらもせずに、時々本を読んであとはひたすらぼんやりと過ごしていた。

思考していたわけではなく、自分の混沌とした思いをただ漂わせて眺めるだけの時間を毎日持っていた。

持たないとダメだった。

それがないと何もできなかった。

やる気が起きず何もせず、ぼんやりと過ごしていた。

ひとしきりぼんやりと過ごして宿題をせずに時間割も合わせずに学校に行っていた。

 

26歳になって久しぶりにぼんやりと過ごして特別スッキリしたわけではないけどいい時間だ。

無為でどうしようもなく、ぐうたらな時間が小6の私には毎日必要だった。

26歳の私には思い出したようなタイミングで生活の余白が必要なのかもしれない。

 

 

青春の陰

私に青春を教えてくれた男の子が死んだ。

 

いや、私に。ではなく「私たちに」が正しいのであろう、彼の場合。

 

「屈託なく笑う」という言葉はこの男の子のためにあるんだと確信していた中学1年生の頃。

私は彼が好きだった。

 

笑うと目尻に寄るシワと、真っ白い歯。

 

「爽やか」という形容詞をそのままにしたのが彼だった。

 

小学生の入学式に彼を知り、端正な顔立ちで賢く騒がしくないのによく目立つ男の子だったように思う。

 

顔が綺麗な男の子がいる。

 

そういう認識が2年生にあがる頃には幼い「すき」を宿していて母親に「あの子が好き」と話していたように思う。

母は「みきちゃんは面食いね」と笑うのでとても恥ずかしい気持ちになったことを覚えている。

 

小学6年の夏には学校の代表で活動することや共に学級委員をしたりなんかして幼かった「すき」な気持ちがまた成長したように思う。

 

そうだ、ハリーポッターは彼との共通点で感想を話したりなんかしていた。読むペースが速い彼にネタバレされないように口止めをしたり、勉強のできる彼にわからない言葉の意味を聞いたりなんかしていた。

 

途切れ途切れに思い出すように、度々その「爽やかな男の子」が好きだった。

 

中学でもやっぱり彼を好きな頃があった。

互いに生徒会に入り、副会長という役柄で共に時間を過ごした。

行事の打ち合わせで意見が合わなかったこともあった。

でも行事を終えた後の達成感はひと塩というやつを一緒に味わったのは彼だった。

私のいわゆる「青春」の一瞬一瞬に彼はいたのだ。

 

 

彼は魅力的だった。

 

相変わらず、「屈託なく笑う」ことができ、賢く、ユーモアもあって、学年の始めには必ずと言っていいほど学級委員長に選ばれていた。

 

そんな彼に私の親友も私の姉も恋をしていた。

 

夢中で彼のどんな仕草が可愛かったとか、言われた言葉がいかに嬉しかったか、そういう話をよく聞いていた。

 

中学2年の中弛みに彼は毎日勉強をしていると話していた。

中学3年にはその努力により一層磨きをかけ、県内一の進学校に入学が決まった。

 

生徒会の任期が終わり、受験も乗り越え、私たちは卒業した。

 

同級生に会うと時折、彼の名前を聞いた高校生活。

たまたま乗ったことでんに乗っていた彼は少し驚いて意地悪を一つ、二つと噛ませてまた屈託なく笑うのだった。

 

偶然会うことはなくなったが、親友の家で彼が元気か何をしているのかが時々話題に上った。

 

恋という言葉はとっくに無くなっていたけど、大切な友達だった。

会わなくてもメールをしなくても大切な友達だった。

 

きっと元気できっと彼は彼なりのハッピーを掴むのだと。

無意識の中で確信していた。

 

信じていた。

 

 

今日まで。

 

 

「死」とは程遠かった「爽やかな男の子」

 

会わなくても、会えなくても。

 

死んでほしくなかったなあ。

 

 

ひろげた両手に

 

 

 

目があうと、

 

私めがけて両手を広げる。

 

私も同じ高さになるようにしゃがむ。

 

両手は私の首にまわる。

 

私は立ち上がって優しくリズムよく、小さな背中に触れる。

 

ぎゅっと力のこもった両手は次第に力が抜けて

 

同じように私の背中に優しく触れる。

 

 

抱きしめて抱きしめられる。

心地よさがジーンと身体に沁み渡る。

 

安堵感がこちらにも伝わるようなジーンとしたあたたかさは

私やあなたがそれぞれに優しく触れているうち、ずっと、続く。

 

 

 

1日に何度も求められる。

 

その度に応える。なるべく丁寧に。

 

 

 

「癖がついてはいけない」という人もいる。

 

それも間違ってはいないのだろう。

 

癖になったように私と二人きりになるときには必ず求められるから間違ってはいないのだろう。

 

ただ、これが12歳になっても17歳になっても続くわけじゃない。

22歳になって、34歳になってもできるわけじゃない。

46歳や53歳、67歳になってからじゃ頼めない。

 

 

26歳になってもただ抱きしめてくれる人がいればいいと願うことだってある。

ずっと肯定してくれて、言葉だけでは足りなくて。

 

 

 

温度で肯定されていたい。

 

 

 

 

そう思う夜だってあるのだから。

 

 

素直に言って許される、その年齢くらいはずっと抱きしめていたいのです。

まだほのかに肌に甘い香りが残る彼らが身を委ねられる、そういう時間があってほしいと思うのです。 

 

 

 

 求められた私すらも包み込む、ジーンとするそれは求めた側も求められた側も潤わずにはいられなく、広げられた両手に救われたりもするのです。

 

 

 

洗濯物と風。

今日だった。

込み上げてどうしようもなくなって、上を向いても仕方なくって。

唇を噛んでも溢れてきたのは実感だった。

 

今日の昼下がり、ご飯を終えて小さな洋服たちを正座して畳んでいた。

風がふわっと吹いて気持ちがよくって、『いい1日をみんな過ごして帰って来たらいいなあ』なんて思いがふわっと浮かんだ頃合いに、

同じようにふわりと私の祖父が浮かんだ。

 

憎まれ口を叩くときの険しい表情なんかじゃなくって、私が祖父の好物の「うずまきソフト」のアイスクリームを買って帰った時の、喜ぶのを抑えた時に出る、少しだけ口角の上がった口元と、隠しきれない目尻のシワ。

長い眉毛までが真っ白になっている、祖父の横顔だった。

 

「嗚呼、おじいちゃんにもう会えんのや」

 

溢れてきた実感。

 

祖父は死んだのだ。

 

 

手触りとか、温度とか。

 

 

心地良い。

 

 

 

「心地良い」が心地良くなったのは25歳を過ぎた頃だったように思う。

 

 

 

18の頃なんかは刺激的なものや熱いものを好んで選んでいた。

 

尖っていたり、熱を帯びているものはそれだけで魅力的に写っていた。

 

 

だから、田舎が嫌だった。

狭くてぬるくて単調な、そういう田舎が退屈に思えた。

 

 

平凡な田舎で歳をとった。

 

服屋さんで働いて、

晴れた日には公園でピクニックをして、

友達と夜中にドライブをして、

うどん屋さんで働いてる心根の優しい男の子と付き合って、

時々誰かとケンカして、

ライオン通りをはしごして朝まで飲んで、

雨が降ったら車の中でセックスをして、

気に入りの古びた喫茶店でコーヒーを飲んで、

瀬戸内に浮かぶ島々に美術を見つけに行って、

傷ついては泣いて。

 

平凡な田舎で歳をとった。

 

 

 

歳をとる中で好きになることが得意になった。

許せることも多くなった。

 

 

 

 

 

刺激の強いものは痺れてしまうかもしれないし、

熱いものはやけどをしてしまうかもしれない。

 

でも心地の良いものには攻撃性がない。

 

誰も傷つけようとせず、

「気持ち良い」とはまた違う、それを好むようになった。

私と何かの間には「心地良い」があってほしいと思うようになった。

「心地良い」時間。

「心地良い」場所。

「心地良い」空間。

 

それがあればいいと願うようになった。

 

それを見つけたいと思うようになった。

平凡でもいい、退屈でもいいし、普通でもいい。

 

「心地良い」を今日もあなたと共有したい。

 

 

急がば休め!

 

私は読書が好きで、仕事の休憩時間は大体どこかでコーヒーを飲みながら本を読んでいる。

西加奈子がおもしろくてリズム良く読めるばかりに時間を忘れて没頭し、気がつけば休憩終了5分前。

「くそう、憎いぜ。西加奈子。いい日本語使いやがる、愛してる」とか思いながら、愛情がこぼれないように慎重に本を閉じてカバンにしまい、次に考えるのはリアル。

 

 

会社まで走らないと間に合わない。

 

 

 

「急げ〜〜!!」と心の中で叫びながら、iPhoneから流す音楽も早く走れそうな曲にして小走る、小走る。

 

時々液晶で確認して「まだ間に合う!自分を信じろ!」とまた心の中で繰り返しながら急ぐ、急ぐ。

 

そして気がつけば、「あれ?会社通り過ぎた!」なんてことがしばしばある。

 

【休憩時間内に会社に戻ること】が目的なのに、いつの間にか、【急ぐ】ことに夢中になって目的を忘れてしまう。

下手すれば【急ぐ】ことが目的のような顔して私の前にいたりする。

私は容易く翻弄されて、急いで急いで気がついたら会社に背中を向けて走っているのだ。

 

 

おいおいおい、そんなマヌケなことはねえよ。

 

 

と言いたくなるだろう。

 

 

 

短距離で惑わされる私だ。

 

 

 

 

人生でも惑わされる。

 

 

 

数少ない投稿記事の中でも顕著に出ていると思うが、私は学歴コンプレックスを感じている。

大学進学を考えていたこともあった。

お金もないし、勉強もできない私なので働きながら勉強していた。
あの頃あまり睡眠をとっていなかったように思う。

なにせ寝ていないので記憶が曖昧だ。

 

朦朧とする中、バイトに明け暮れ、空いた時間で慣れない勉強をしていた。

 

案の定、体調が崩れた。

血尿出るワ、夜になるとミミズ腫れのような湿疹が毎日出るワ、熱は出るワ・・・等々。

生活がままならないところまで来てしまった。

【大学に進学すること】が目的だったのにいつの間にか埋もれて、「これくらいしないとダメだ」などと考え自分を縛ってただただ【ひたむきに努力すること】が目的のような顔して私の前にいた。

 

 

必死になっているときほど、目先のことに集中する。

そんな時こそ一休みが必要なのかもしれない。

無為な時間を過ごして自分は「なにを求めているのか」自分に聞けば、埋もれていた気持ちの声は小さくなっているかもしれないけれど、答えてくれる。

 

最初は聞こえないことだってあるだろう。

 

一番聞き取りにくくて、聞こうと思わないと聞こえない声。

 

その声は、「ゆっくり寝転んでなんにも考えたくない」「あたたかい毛布にくるまって1日を過ごしたい」「傷つけない人とだけ関わりたい」と細く泣いているかもしれない。

 

聞こえたら、その声を大切にしてほしい。どうか。

現代人にとってムズカシイ小さな願いを聞いてほしい。どうか。

「仕事をしないとお金がなくなる」「普通にしていないといけない」「頑張らないといけない」「もう大人だから一人で生活していかないといけない」「男だからこうあらねばいけない」「女だからこうしなくちゃいけない」

 

そういうのとは一旦、距離を置いて。

 

一見、重要そうな、大きな顔して心の中に居座る、プライドとか、生活レベルとか。

 

そういう奴らとは一旦、距離を置いて。

 

 

もう働けない。休みたい。何もしたくない。

 

それでいいと思う。

それじゃ生活していけない?
心許せる人に頼んで居候させてもらったらいい。
恋人でも家族でも友達でも先輩でも後輩でも。

 

 

「これができて当然」を勇気を持って打ち破ってほしい。

 

 

本当に生きたい目的をよく知っている声のままに。