完了しない涙

人が一人死んだことがもたらす影響は大きい。


昨年、11月に祖父が死んだ。


私が18の頃に祖父にガンが見つかった。
それを告げられた後、一人になって私はおいおい泣いた。

不安で押しつぶされそうだった。

 

「おじいちゃん、おらんなったらどうしよう」

 

そこから受け入れる作業が始まった。

人の死は怖い。
その人がいないこと、その人がいない生活が想像できないこと。
みんな死ぬってわかりきって生きているのにどうしてこわいのだろう?
どうして想像もできないのだろう?

そういえば、私がまだ9歳だった頃、ひいおばあちゃんが死んだ。

私は彼女がすごく好きだった。いつも優しくて私の好きなアルファベットの形をしたビスケットを用意してくれ、私の顔を見たら喜んでくれる彼女が大好きだった。

そんな彼女が死んだ。
これも病気だった。とはいえ、89歳だったのでほとんど老衰のようなもんだと大人たちは言っていた気がする。


私は悲しかった。

優しい彼女に悲しくなった私を慰めてもらうことができなくなったこと。

しわしわの華奢な手で頬を撫でてもらえなくなったこと。

手作りの甘酒を冷蔵庫で冷やしてコップに入れて一緒に飲むことができなくなったこと。

こんなに悲しい気持ちになることがあるんだ。この世には。

お母さんがいてお父さんがいておじいちゃんが二人におばあちゃんが二人。

姉と弟がいてきょうだいのような飼い犬がいる私はあと何回この苦しい気持ちを乗り越えないといけないんだろう。

ゾッとした。悲しいことの方がこの先多いんじゃないかと思ってそのことも悲しかった。

 

祖父の死は近い将来やってくるのかもしれない。

だとしたら祖母だって例外ではない。
世間では立派な後期高齢者にカテゴライズされる年齢だった。

いくら怒鳴り散らかし悪態をつくエネルギーがあっても、それはゆっくりと祖父に近づいてきているのかもしれない。
 


「ともし火はたいせつにしましょう。風がさっと吹いてきたら、その灯が消えるかもしれませんからね」昔読んだ星の王子さまが私の耳元で囁いている気がした。

 


私は孫の中でも一番、祖父と相性が悪かった。

子供の時からずっとだ。
祖父が遊んでやろうと私を引っ張ると私の腕は簡単に抜けた。祖父は私のそういう弱さも、気持ち良く吸っているタバコの煙に過剰に咳き込んでしまう弱さも、誰かが怒り出すと空気が震えてそれで泣き出してしまう私の弱さも、なにより怠け病になり高校を辞めた理解不能な弱い部分に。

とにかく怒っていたように思う。

怒られていたから近寄れなかった。

 

定期検診によくついて行った。車内はよく無言だった。

たまに喋っていても祖父は私がどうダメであるかの話をしていた。

手術の日は毎回仕事に休みをもらって祖父を見送りに行った。
手術が終わるまで病院内のスターバックスで本を読みながら待った。何を読んでいたか覚えていない。

祖父から取り出した祖父のものかもわからない「悪い部分」とやらもこの目にしてきた。

 

少しずつ、近くなっている感覚があった。


近づいてくるに連れて覚悟を決めようと心がけてきた。

特に晩酌をしなくなった祖父を見て一気に距離を詰めてきたなと感じた。

 

祖父が亡くなる2年前の正月の祝いの席で「お前はわしが死んだら喜ぶやろうな」と急に言われたことがあった。
腹が立った。頭に血が上ったと感じたら涙が出ていた。そう見られていることがとても悲しかったし、訳がわからなかった。

私と祖父はいい関係ではなかった。「仲睦まじい祖父と孫」では決してなかった。

顔をあわせると私は必ず傷つけられてきたように思う。


食が細くなってきた。
嗜好も変わってきていて祖父がわからなくなった。

それと同時期に祖父が私に悪態をつかなくなったきた。

秋口に家族で淡路島へ旅行にいった。
その夜、祖父は「うちの孫は三人、甲乙つけがたい。みんな優しい」とポツリと言った。
うちの姉と弟は確かに優しい。祖父にも優しくしているし、他人にも優しい。

祖父の視界から見て私と姉・弟が甲乙つけがたくなる時が来るなんて。

 

これはいよいよかもしれないと思った。


10月の中頃帰省した私は東京に戻る前に祖父に挨拶しに行った。
「ちょくちょく帰れよ。顔見ると安心する」と祖父が言った。

私は照れてしまって「10月末か11月頭にまた帰るけん、待っといてな」と部屋を出ながら言った。


祖父は私が帰省する2日前に死んだ。


覚悟を決めて決めて決め続けた8年間。
実感などなく実家に入り、祖父の冷たくなった頬に触れると涙が出た。

生きてた頃は祖父の頬には怖くて触れられなかったのに、死んだらたやすく触れられた。

怒ってばかりの祖父だったのに死に顔は穏やかに微笑んでいた。


やっぱり悲しかった。大好きな優しいひいおばあちゃんが死んだ時と同様に悲しくて悲しくて仕方がなかった。

あっという間にお通夜と葬式の段取りが決まった。
お通夜が終わり、朝目覚めると祖父が青い顔で寝ている。
顔を洗う、祖母と叔母の話し声が聞こえる、『あれ?じいじの声がせんな、様子見に行こう』と当たり前のように寝起きの脳みそが思考する。

『あ、じいじが死んだけんみんな集まっとんか』と鈍く思い出す。

 

通夜も葬式中もこれでもかってくらい泣いた。冷たい頬に触れるたびに泣いた。

御出棺というやつの時も泣いた。祖父を燃やす前に顔を見せてくれた時も泣いた。

 

焼けてボロボロの骨クズになった祖父をみたときは涙は出なかった。病院でみた祖父の「悪い部分」と同じくらいに祖父のものという感じがなかった。



夢で祖父が出てくる、私は香川にいて生活の中に当たり前のように祖父が出てくる。

 

東京の街中で祖父が出てくる、『寒くなったけどじいじ元気かな?わがまま言うてみんな困らせとらんかな』思考の一部のように祖父が出てくる。

 

それは叔父が亡くなって半年ほど経ったときに一人暮らしの部屋で『もう叔父さんには二度と会えんのや』という実感と共に出てきた涙とは違う。あれはたぶん完了した涙だったんだと思う。叔父の死を受け入れますよ。と気持ちが完了したときに出てきた涙だったんだと思う。


祖父の死はまだ完了していない。

『じいちゃん会えんのや』と思い切れていないのかもしれない。涙が出そうになっても泣ききれない。


 

大きな影響の中に私はまだいる。

 

 

傷には軟膏

傷をすべてみせた人がいた。

20歳の夏だった。

 

膿んでて腫れていてぐじゅぐじゅで異臭だってしたかもしれない私のそれをみて、そのひとつひとつに軟膏を塗ってくれた人がいた。


今までに何度か、自分で自分を終えようと考えていたことがあった。その何度目かの折にその人は私の隣にいてくれた。

 

ロクに食事も摂らず眠らない、シフト制の仕事であるにも関わらず欠勤を繰り返し、気が緩めば涙がポトポト落ちてきて息が上がる。
「めんどくさい」そういう言葉で括られる私であった時、括らずに決めつけずに時々話す私の言葉に耳を傾けて丁寧に相槌を打って私が私に向けた否定をゆっくりと否定してくれた。

食事を摂らなかったのは食欲がないのとは違って、許されない気がしたから。

他の尊い命に私の命は生き方は値しないと思ったから何も食べれなかった。

不思議とお腹は減らず、苦痛もなかった。

 

夜は眠れなく、長く暗かった。

寝れない間中、不安がいつも追いかけてきた。どうしたって追いかけてきたもんだから怖くなって一人で夜を歩いた。
田舎だったから見上げれば空は美しかったであろうその時に顎を上げる力もないくらいに疲弊していた私はずっとアスファルトをみて歩いた。

仕事は好きだった。

行きたくないわけではなくて行けなかった。どうしたって身体が起き上がらない。駅までどうにかたどり着いても息が上がって目の前が真っ暗になって、救急車で運ばれたりなんかしていた。

とても弱っていた。
傷だらけで立てなかった。気が付いたら泣いている。このまま何も食べずにいたら自分は失くなるんじゃないかな、なんて淡い期待を抱いていた。

死ぬのは怖かった。でも生きることのほうがもっと怖かった。
高さのある建物に入るとじっと地上を見つめていた。吸い込まれそうな時決まって肩を叩いてくれて遠くを指差し他愛もない話をして私の注意を景色に向けてくれる人がいた。


ご飯もたべれるようになり、夜も眠れる時間が増えた。仕事もちゃんと行けるようになった。
自分を終えたいと思うこともなくなった私。


傷のすべてを見せれる人はいない。
でも、この傷はこの人には見せれる、この傷は彼女に知っておいてほしい。そんな風に私の傷の一部を人に話すことができるようになった。

一人の人だけに傷のすべてをみせることと、少しずつ軽く分けてわかってくれそうな人に傷を見せること。

そのどちらが正しいのか、むしろ人に傷をひけらかすことがいいのかわからない。

ただ誰かとわかり合いたいから。

そのわかり合いたい誰かを受け入れたくて私のことも受け入れてほしくて。

私がしてもらったようには上手に軟膏を塗れないのかもしれないけど、

私に傷をみせてくれた誰かのそれにできるだけ長く穏やかに寄り添いたい、26歳の秋である。

今晩空いてる?

「今日の夜空いてる?」

ポンとiPhoneが光る。

引っ越して4ヶ月が経つ。

 

こっちで出会った友達、今晩の予定を聞いてくる。
生憎今日は仕事。

夕飯に誘おうと思って私に連絡をくれたよう。

 

すごく普通のやりとり、当たり前。

 

地元で25年過ごした私、

故郷では当たり前に来ていたお誘いたち。

遊ぶ間もないくらい働いていたので

急な誘いにイエスと答えれないことが多い日々だった。

 

にも関わらず、私の友達は懲りずに誘い続けてくれていた。

 

 

友達は0からのスタートだった新生活。

急に誘ってくれる友達がいる。

光る液晶を見るとニッコリする私がいる。

相変わらず遊ぶ間もないほどに働く私。


嬉しい気持ちは変わらないから、

当たり前をまた私にくれる新しい友達と、

次は夕飯を一緒にしたいな、って。

 

 

 

楽しみのひとつ

良い出会いとか、出会いに感謝!とかってよく言うけど、

 

時々、 すごい出会いだな なんて感じることがある。

 

 

親友のみーちゃんに会った時は本当に震えた。

冗談でなく、震えた。

顔をみたときに【会いたかった】【待っていた】【彼女に会うためにずっと耐えてきた】その時は言語化できなかったけどこういった感情の洪水だった。

嬉しい嬉しい嬉しい。なんてただひたすらに感じていた。

必然のように仲良くなり、そろそろ10年の付き合いになる。

 

みーちゃんとの出会いは 特別 ってやつなんだろう。

 

 

それなくとも、 すごい出会い ってのはある。

その出会いは瞬間的なもののはずなのに、次にまた絶対会うという確信が約束もしてないのに各々の心にあり、別れは自然と寂しくない。

 

その すごい出会い ってやつの威力は凄まじく、知り合ってまだ5時間とかなのに普段しない自分の話とかしちゃうもの。

それでまた

打ち解ける。

内溶ける。

うちとける。

 

みんなニコニコしていて、ジーンとあたたかく胸に響く。口々に「良い夜だね」なんて声があがってくる。

ふと思いつきで行動した時、それは起きた。

いつもと違うことを突き動かされてするような時にそれは起きる。

 

結ばれているのだと思う。

 

赤い糸。なんて言うけど恋愛に関わらず 私 と 私の縁深い 誰か は結ばれていて会うようになっている。


いつ再会するのだろう。気のいい彼らに。


次は どんな 誰に 出会うのだろう。私の心をあたためてくれる ひとに。

 

 

そういう楽しみがこの世界にはあるなあ。

 

 

 

孤独の代替品

壊れたiPhoneの代わりにショップが代替機を貸してくれた。

 

前に使っていたものより1つ新しいもの。

 

SIMカード入れてPCに繋いだらホーム画面まで前のままになる。

 

大きさも重さも変わらない、画面も情報も変わらない。

 

1つ新しくなって少し表示が違うくらい。操作に差し支えるようなものではない。

 

 

でも、私のiPhoneではない。

 

 

当たり前だけど。

 

なんだか馴染まない。ポッケに入ってても違う。違和感。

 

代替品は代替品でしかない。

 

 

 

ふと思った。

お風呂でシャワーを浴びてる裸の私を見て鏡を見てふと思った。

 

まるで私のよう。

 

孤独が嫌で。孤独を埋めようとして。

本物ではなく、本物を見つけに行く勇気もなく、

人を代替品のように扱ったのではないかと。

 

そして、代替品・穴埋めとして人を扱う私にはそれと同等の扱いしか待っていないこと。

 

私もまた誰かの代替品でしかなかったと。

 

今気づいた。

 

そしてそれでいいと思っていたことも。

 

でもよくないよくない。

本当は全然よくないと思っていることも。

 

少し休んだらまた本物を見つけ行こう。

 

 

それを求めて得た幸せを知っているから。

またあの感覚を味わいたいから。

 

 

今日気づいた、ありがとう。

そしてたくさんごめんなさい。

 

 

孤独と仲良くやっていこう。

ごめんね、私の愛しい孤独。

 

 

お腹をあたためてくれるもの

 

うれしいこと。

褒めてもらえたり、仲良くなりたかったよって言ってもらえたり、好きだよって言ってもらえたり、

 

うれしいことってたくさん。

 

毎日、毎日に落ちている。降ってくる。

 

何よりもうれしいこと。

 

人と仲良くなること。

 

 

最初は表情も言葉も少ない。

 

次に会ったら前よりちょっぴり表情も言葉も豊かになる。

どんどん彩りを持ってくる。

言える冗談の幅が広がって、ニコニコする時間が増えたりする。

 

あ、この人はこういうことが好きなんだなあ。この話をおもしろいって思って、こんな表情もするんだ。

 

そういう移ろいはとてもうれしい。

 

 

そうやって仲良くなった人が、別の友達と仲良くなっていって、みんながうれしいな、たのしいなって思っている。仲良くなったなって感じている。

そういう空気に触れると、お腹があたたかくなる。

よろこびや幸せはお腹をあたためてくれる。

それは強くて優しくてこの感覚があるから生きることはやめられない。

 

 

鉄壁

悲しいことがあった。

そんなとき、自信をなくしたりする。

嫌なところばかりみえてしまう。

欠点を探しに行こうとする。



でも、元気をくれるものってある。

香りの良いコーヒー、あったかいお風呂。

 

あとは、言葉。

昔、ともだちや兄弟、同僚からもらった私を褒めてくれた言葉たち。
そういう言葉たちがときに私をあたため、慰め、励ましてくれるのです。

元恋人から頂いた言葉であっても、彼とはもう縁がなくなっていても時間を超えて私を守ってくれます。


こういう時には強く思うのは、私がもらった言葉たちが私を励ましてくれたように、私の大切な人 たちが自信を失くしたとき、元気がないとき、ひとりぽっちを感じてしまったときに、私の言葉がどうか彼や彼女を守りますようにと願いを込めて今日もいいところはたくさん口に出そう。

言葉にして相手に形として差しだそう。

 

いいところもしてくれて嬉しかったことも一緒に入れて楽しかったこともすべて、すべて。

 

次はあなたの盾になりますようにと。