願わくは私に声援を

 

その人は、晴れた日の窓に背を向けて座っていた。

畳に正座して話していたのはスポーツ選手のセカンドキャリアの問題について。

スポーツばかりをしてきた選手たちは引退後の食いブチに困るのだと、それはプロに限らず、スポーツを中心に生活をしてきた大学生にも言えて裾野の広い問題であると話していた。

しかし、その人は言った。

「やってやれないことはない」と。

例えばスポーツを引退した後に、弁護士にだってなれるのだと。

 

「やってやれないことはない」

 

その言葉を放ったその人は窓から注ぐ日に照らされてあたたかく光っていた。

光ったのはその人の背中かそれとも言葉か。

 

私はノートに走り書きをする。

 

「やってやれないことはない」

 

耳に心地よい、いい言葉だ。

 

自信なんてのはいつだってない。唯一自慢げに話せるのはお国自慢の時だけだ。

お金で買えるなら私は自信をキャッシュで一括で購入するだろう。

喉から手がでるほど欲しいとはこのことだ。

その人は誰に言うでもなく、間違いなく私ではない誰か大勢のことを思って口にしたであろうその言葉が私を射抜いた。

 

自分に向けられた言葉じゃないから響いたのかもしれない。

私に向けられた言葉なら、私は心の中で否定してしまっていただろう。

「そんなことないです」と。

私ではない、もっと広い人々に向けたその言葉が万人の中にいる私にも響いたのだ。

 

勝手にいいように私の言葉として受け止める図々しい私に、どうか。

 

 

願わくは私に声援を。