青春の陰
私に青春を教えてくれた男の子が死んだ。
いや、私に。ではなく「私たちに」が正しいのであろう、彼の場合。
「屈託なく笑う」という言葉はこの男の子のためにあるんだと確信していた中学1年生の頃。
私は彼が好きだった。
笑うと目尻に寄るシワと、真っ白い歯。
「爽やか」という形容詞をそのままにしたのが彼だった。
小学生の入学式に彼を知り、端正な顔立ちで賢く騒がしくないのによく目立つ男の子だったように思う。
顔が綺麗な男の子がいる。
そういう認識が2年生にあがる頃には幼い「すき」を宿していて母親に「あの子が好き」と話していたように思う。
母は「みきちゃんは面食いね」と笑うのでとても恥ずかしい気持ちになったことを覚えている。
小学6年の夏には学校の代表で活動することや共に学級委員をしたりなんかして幼かった「すき」な気持ちがまた成長したように思う。
そうだ、ハリーポッターは彼との共通点で感想を話したりなんかしていた。読むペースが速い彼にネタバレされないように口止めをしたり、勉強のできる彼にわからない言葉の意味を聞いたりなんかしていた。
途切れ途切れに思い出すように、度々その「爽やかな男の子」が好きだった。
中学でもやっぱり彼を好きな頃があった。
互いに生徒会に入り、副会長という役柄で共に時間を過ごした。
行事の打ち合わせで意見が合わなかったこともあった。
でも行事を終えた後の達成感はひと塩というやつを一緒に味わったのは彼だった。
私のいわゆる「青春」の一瞬一瞬に彼はいたのだ。
彼は魅力的だった。
相変わらず、「屈託なく笑う」ことができ、賢く、ユーモアもあって、学年の始めには必ずと言っていいほど学級委員長に選ばれていた。
そんな彼に私の親友も私の姉も恋をしていた。
夢中で彼のどんな仕草が可愛かったとか、言われた言葉がいかに嬉しかったか、そういう話をよく聞いていた。
中学2年の中弛みに彼は毎日勉強をしていると話していた。
中学3年にはその努力により一層磨きをかけ、県内一の進学校に入学が決まった。
生徒会の任期が終わり、受験も乗り越え、私たちは卒業した。
同級生に会うと時折、彼の名前を聞いた高校生活。
たまたま乗ったことでんに乗っていた彼は少し驚いて意地悪を一つ、二つと噛ませてまた屈託なく笑うのだった。
偶然会うことはなくなったが、親友の家で彼が元気か何をしているのかが時々話題に上った。
恋という言葉はとっくに無くなっていたけど、大切な友達だった。
会わなくてもメールをしなくても大切な友達だった。
きっと元気できっと彼は彼なりのハッピーを掴むのだと。
無意識の中で確信していた。
信じていた。
今日まで。
「死」とは程遠かった「爽やかな男の子」
会わなくても、会えなくても。
死んでほしくなかったなあ。