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ナンニモナイ。

ナンニモナイ。日常。感じたことを感じたままに。

傷には軟膏

傷をすべてみせた人がいた。

20歳の夏だった。

 

膿んでて腫れていてぐじゅぐじゅで異臭だってしたかもしれない私のそれをみて、そのひとつひとつに軟膏を塗ってくれた人がいた。


今までに何度か、自分で自分を終えようと考えていたことがあった。その何度目かの折にその人は私の隣にいてくれた。

 

ロクに食事も摂らず眠らない、シフト制の仕事であるにも関わらず欠勤を繰り返し、気が緩めば涙がポトポト落ちてきて息が上がる。
「めんどくさい」そういう言葉で括られる私であった時、括らずに決めつけずに時々話す私の言葉に耳を傾けて丁寧に相槌を打って私が私に向けた否定をゆっくりと否定してくれた。

食事を摂らなかったのは食欲がないのとは違って、許されない気がしたから。

他の尊い命に私の命は生き方は値しないと思ったから何も食べれなかった。

不思議とお腹は減らず、苦痛もなかった。

 

夜は眠れなく、長く暗かった。

寝れない間中、不安がいつも追いかけてきた。どうしたって追いかけてきたもんだから怖くなって一人で夜を歩いた。
田舎だったから見上げれば空は美しかったであろうその時に顎を上げる力もないくらいに疲弊していた私はずっとアスファルトをみて歩いた。

仕事は好きだった。

行きたくないわけではなくて行けなかった。どうしたって身体が起き上がらない。駅までどうにかたどり着いても息が上がって目の前が真っ暗になって、救急車で運ばれたりなんかしていた。

とても弱っていた。
傷だらけで立てなかった。気が付いたら泣いている。このまま何も食べずにいたら自分は失くなるんじゃないかな、なんて淡い期待を抱いていた。

死ぬのは怖かった。でも生きることのほうがもっと怖かった。
高さのある建物に入るとじっと地上を見つめていた。吸い込まれそうな時決まって肩を叩いてくれて遠くを指差し他愛もない話をして私の注意を景色に向けてくれる人がいた。


ご飯もたべれるようになり、夜も眠れる時間が増えた。仕事もちゃんと行けるようになった。
自分を終えたいと思うこともなくなった私。


傷のすべてを見せれる人はいない。
でも、この傷はこの人には見せれる、この傷は彼女に知っておいてほしい。そんな風に私の傷の一部を人に話すことができるようになった。

一人の人だけに傷のすべてをみせることと、少しずつ軽く分けてわかってくれそうな人に傷を見せること。

そのどちらが正しいのか、むしろ人に傷をひけらかすことがいいのかわからない。

ただ誰かとわかり合いたいから。

そのわかり合いたい誰かを受け入れたくて私のことも受け入れてほしくて。

私がしてもらったようには上手に軟膏を塗れないのかもしれないけど、

私に傷をみせてくれた誰かのそれにできるだけ長く穏やかに寄り添いたい、26歳の秋である。

今晩空いてる?

「今日の夜空いてる?」

ポンとiPhoneが光る。

引っ越して4ヶ月が経つ。

 

こっちで出会った友達、今晩の予定を聞いてくる。
生憎今日は仕事。

夕飯に誘おうと思って私に連絡をくれたよう。

 

すごく普通のやりとり、当たり前。

 

地元で25年過ごした私、

故郷では当たり前に来ていたお誘いたち。

遊ぶ間もないくらい働いていたので

急な誘いにイエスと答えれないことが多い日々だった。

 

にも関わらず、私の友達は懲りずに誘い続けてくれていた。

 

 

友達は0からのスタートだった新生活。

急に誘ってくれる友達がいる。

光る液晶を見るとニッコリする私がいる。

相変わらず遊ぶ間もないほどに働く私。


嬉しい気持ちは変わらないから、

当たり前をまた私にくれる新しい友達と、

次は夕飯を一緒にしたいな、って。

 

 

 

楽しみのひとつ

良い出会いとか、出会いに感謝!とかってよく言うけど、

 

時々、 すごい出会いだな なんて感じることがある。

 

 

親友のみーちゃんに会った時は本当に震えた。

冗談でなく、震えた。

顔をみたときに【会いたかった】【待っていた】【彼女に会うためにずっと耐えてきた】その時は言語化できなかったけどこういった感情の洪水だった。

嬉しい嬉しい嬉しい。なんてただひたすらに感じていた。

必然のように仲良くなり、そろそろ10年の付き合いになる。

 

みーちゃんとの出会いは 特別 ってやつなんだろう。

 

 

それなくとも、 すごい出会い ってのはある。

その出会いは瞬間的なもののはずなのに、次にまた絶対会うという確信が約束もしてないのに各々の心にあり、別れは自然と寂しくない。

 

その すごい出会い ってやつの威力は凄まじく、知り合ってまだ5時間とかなのに普段しない自分の話とかしちゃうもの。

それでまた

打ち解ける。

内溶ける。

うちとける。

 

みんなニコニコしていて、ジーンとあたたかく胸に響く。口々に「良い夜だね」なんて声があがってくる。

ふと思いつきで行動した時、それは起きた。

いつもと違うことを突き動かされてするような時にそれは起きる。

 

結ばれているのだと思う。

 

赤い糸。なんて言うけど恋愛に関わらず 私 と 私の縁深い 誰か は結ばれていて会うようになっている。


いつ再会するのだろう。気のいい彼らに。


次は どんな 誰に 出会うのだろう。私の心をあたためてくれる ひとに。

 

 

そういう楽しみがこの世界にはあるなあ。

 

 

 

孤独の代替品

壊れたiPhoneの代わりにショップが代替機を貸してくれた。

 

前に使っていたものより1つ新しいもの。

 

SIMカード入れてPCに繋いだらホーム画面まで前のままになる。

 

大きさも重さも変わらない、画面も情報も変わらない。

 

1つ新しくなって少し表示が違うくらい。操作に差し支えるようなものではない。

 

 

でも、私のiPhoneではない。

 

 

当たり前だけど。

 

なんだか馴染まない。ポッケに入ってても違う。違和感。

 

代替品は代替品でしかない。

 

 

 

ふと思った。

お風呂でシャワーを浴びてる裸の私を見て鏡を見てふと思った。

 

まるで私のよう。

 

孤独が嫌で。孤独を埋めようとして。

本物ではなく、本物を見つけに行く勇気もなく、

人を代替品のように扱ったのではないかと。

 

そして、代替品・穴埋めとして人を扱う私にはそれと同等の扱いしか待っていないこと。

 

私もまた誰かの代替品でしかなかったと。

 

今気づいた。

 

そしてそれでいいと思っていたことも。

 

でもよくないよくない。

本当は全然よくないと思っていることも。

 

少し休んだらまた本物を見つけ行こう。

 

 

それを求めて得た幸せを知っているから。

またあの感覚を味わいたいから。

 

 

今日気づいた、ありがとう。

そしてたくさんごめんなさい。

 

 

孤独と仲良くやっていこう。

ごめんね、私の愛しい孤独。

 

 

お腹をあたためてくれるもの

 

うれしいこと。

褒めてもらえたり、仲良くなりたかったよって言ってもらえたり、好きだよって言ってもらえたり、

 

うれしいことってたくさん。

 

毎日、毎日に落ちている。降ってくる。

 

何よりもうれしいこと。

 

人と仲良くなること。

 

 

最初は表情も言葉も少ない。

 

次に会ったら前よりちょっぴり表情も言葉も豊かになる。

どんどん彩りを持ってくる。

言える冗談の幅が広がって、ニコニコする時間が増えたりする。

 

あ、この人はこういうことが好きなんだなあ。この話をおもしろいって思って、こんな表情もするんだ。

 

そういう移ろいはとてもうれしい。

 

 

そうやって仲良くなった人が、別の友達と仲良くなっていって、みんながうれしいな、たのしいなって思っている。仲良くなったなって感じている。

そういう空気に触れると、お腹があたたかくなる。

よろこびや幸せはお腹をあたためてくれる。

それは強くて優しくてこの感覚があるから生きることはやめられない。

 

 

鉄壁

悲しいことがあった。

そんなとき、自信をなくしたりする。

嫌なところばかりみえてしまう。

欠点を探しに行こうとする。



でも、元気をくれるものってある。

香りの良いコーヒー、あったかいお風呂。

 

あとは、言葉。

昔、ともだちや兄弟、同僚からもらった私を褒めてくれた言葉たち。
そういう言葉たちがときに私をあたため、慰め、励ましてくれるのです。

元恋人から頂いた言葉であっても、彼とはもう縁がなくなっていても時間を超えて私を守ってくれます。


こういう時には強く思うのは、私がもらった言葉たちが私を励ましてくれたように、私の大切な人 たちが自信を失くしたとき、元気がないとき、ひとりぽっちを感じてしまったときに、私の言葉がどうか彼や彼女を守りますようにと願いを込めて今日もいいところはたくさん口に出そう。

言葉にして相手に形として差しだそう。

 

いいところもしてくれて嬉しかったことも一緒に入れて楽しかったこともすべて、すべて。

 

次はあなたの盾になりますようにと。

 

さいしょのさいしょ。

 

子供の頃、好きだったのは空想だった。
嫌なことが起きてる最中でも空想の世界に飛べば現実が空想にひっくり返った。

 

母親のヒステリックな叫びも聞こえなくなるほど思考に没頭できた。
 


そして私は感受性に恵まれ気分屋だった。

 

怒ったりご機嫌になったりとくるくる感情はいつも回っていた。

 

少し大人になってからはその感情の移ろいのワケを探すことが好きになった。

 

「 なんで あのとき わたし 腹が 立ったんだろ う ? 」

 

嗚呼、あの時の経験が私を逆撫でしているんだ。

 

と記憶と感情の糸を手繰り寄せては楽しんだ。 

 

 

感情が動きやすい性分だからよく感動する。

 

 

そういった感動を言葉に落として紡ぎます。