楽しみのひとつ

良い出会いとか、出会いに感謝!とかってよく言うけど、

 

時々、 すごい出会いだな なんて感じることがある。

 

 

親友のみーちゃんに会った時は本当に震えた。

冗談でなく、震えた。

顔をみたときに【会いたかった】【待っていた】【彼女に会うためにずっと耐えてきた】その時は言語化できなかったけどこういった感情の洪水だった。

嬉しい嬉しい嬉しい。なんてただひたすらに感じていた。

必然のように仲良くなり、そろそろ10年の付き合いになる。

 

みーちゃんとの出会いは 特別 ってやつなんだろう。

 

 

それなくとも、 すごい出会い ってのはある。

その出会いは瞬間的なもののはずなのに、次にまた絶対会うという確信が約束もしてないのに各々の心にあり、別れは自然と寂しくない。

 

その すごい出会い ってやつの威力は凄まじく、知り合ってまだ5時間とかなのに普段しない自分の話とかしちゃうもの。

それでまた

打ち解ける。

内溶ける。

うちとける。

 

みんなニコニコしていて、ジーンとあたたかく胸に響く。口々に「良い夜だね」なんて声があがってくる。

ふと思いつきで行動した時、それは起きた。

いつもと違うことを突き動かされてするような時にそれは起きる。

 

結ばれているのだと思う。

 

赤い糸。なんて言うけど恋愛に関わらず 私 と 私の縁深い 誰か は結ばれていて会うようになっている。


いつ再会するのだろう。気のいい彼らに。


次は どんな 誰に 出会うのだろう。私の心をあたためてくれる ひとに。

 

 

そういう楽しみがこの世界にはあるなあ。

 

 

 

孤独の代替品

壊れたiPhoneの代わりにショップが代替機を貸してくれた。

 

前に使っていたものより1つ新しいもの。

 

SIMカード入れてPCに繋いだらホーム画面まで前のままになる。

 

大きさも重さも変わらない、画面も情報も変わらない。

 

1つ新しくなって少し表示が違うくらい。操作に差し支えるようなものではない。

 

 

でも、私のiPhoneではない。

 

 

当たり前だけど。

 

なんだか馴染まない。ポッケに入ってても違う。違和感。

 

代替品は代替品でしかない。

 

 

 

ふと思った。

お風呂でシャワーを浴びてる裸の私を見て鏡を見てふと思った。

 

まるで私のよう。

 

孤独が嫌で。孤独を埋めようとして。

本物ではなく、本物を見つけに行く勇気もなく、

人を代替品のように扱ったのではないかと。

 

そして、代替品・穴埋めとして人を扱う私にはそれと同等の扱いしか待っていないこと。

 

私もまた誰かの代替品でしかなかったと。

 

今気づいた。

 

そしてそれでいいと思っていたことも。

 

でもよくないよくない。

本当は全然よくないと思っていることも。

 

少し休んだらまた本物を見つけ行こう。

 

 

それを求めて得た幸せを知っているから。

またあの感覚を味わいたいから。

 

 

今日気づいた、ありがとう。

そしてたくさんごめんなさい。

 

 

孤独と仲良くやっていこう。

ごめんね、私の愛しい孤独。

 

 

お腹をあたためてくれるもの

 

うれしいこと。

褒めてもらえたり、仲良くなりたかったよって言ってもらえたり、好きだよって言ってもらえたり、

 

うれしいことってたくさん。

 

毎日、毎日に落ちている。降ってくる。

 

何よりもうれしいこと。

 

人と仲良くなること。

 

 

最初は表情も言葉も少ない。

 

次に会ったら前よりちょっぴり表情も言葉も豊かになる。

どんどん彩りを持ってくる。

言える冗談の幅が広がって、ニコニコする時間が増えたりする。

 

あ、この人はこういうことが好きなんだなあ。この話をおもしろいって思って、こんな表情もするんだ。

 

そういう移ろいはとてもうれしい。

 

 

そうやって仲良くなった人が、別の友達と仲良くなっていって、みんながうれしいな、たのしいなって思っている。仲良くなったなって感じている。

そういう空気に触れると、お腹があたたかくなる。

よろこびや幸せはお腹をあたためてくれる。

それは強くて優しくてこの感覚があるから生きることはやめられない。

 

 

鉄壁

悲しいことがあった。

そんなとき、自信をなくしたりする。

嫌なところばかりみえてしまう。

欠点を探しに行こうとする。



でも、元気をくれるものってある。

香りの良いコーヒー、あったかいお風呂。

 

あとは、言葉。

昔、ともだちや兄弟、同僚からもらった私を褒めてくれた言葉たち。
そういう言葉たちがときに私をあたため、慰め、励ましてくれるのです。

元恋人から頂いた言葉であっても、彼とはもう縁がなくなっていても時間を超えて私を守ってくれます。


こういう時には強く思うのは、私がもらった言葉たちが私を励ましてくれたように、私の大切な人 たちが自信を失くしたとき、元気がないとき、ひとりぽっちを感じてしまったときに、私の言葉がどうか彼や彼女を守りますようにと願いを込めて今日もいいところはたくさん口に出そう。

言葉にして相手に形として差しだそう。

 

いいところもしてくれて嬉しかったことも一緒に入れて楽しかったこともすべて、すべて。

 

次はあなたの盾になりますようにと。

 

さいしょのさいしょ。

 

子供の頃、好きだったのは空想だった。
嫌なことが起きてる最中でも空想の世界に飛べば現実が空想にひっくり返った。

 

母親のヒステリックな叫びも聞こえなくなるほど思考に没頭できた。
 


そして私は感受性に恵まれ気分屋だった。

 

怒ったりご機嫌になったりとくるくる感情はいつも回っていた。

 

少し大人になってからはその感情の移ろいのワケを探すことが好きになった。

 

「 なんで あのとき わたし 腹が 立ったんだろ う ? 」

 

嗚呼、あの時の経験が私を逆撫でしているんだ。

 

と記憶と感情の糸を手繰り寄せては楽しんだ。 

 

 

感情が動きやすい性分だからよく感動する。

 

 

そういった感動を言葉に落として紡ぎます。